ネットビジネスで収入の自由化に成功! 悠々自適なライフスタイル白書

 

余命宣告

 

 

僕には認知症で79歳になる義母がいます。 

 

義母は要介護4で、在宅中に階段から誤って落ち大腿骨骨折。

 

それを機に一気に状態が悪化し、それからは、長野県の特別養護老人ホーム(特養)で
寝たきり状態のまま暮らしています。

 

 

義母は当然、僕の妻の母親で、元気な時はよく自分たちの住んでいる家にもわざわざ遊びに来てくれました。

 

 

性格は非常に明るく若い頃から多趣味で、妻の実家に行くと義母が作ったたくさんの
フラワーアレンジメントがあちらこちらに飾られていました。

 

 

僕が現在住んでいる家にもいくつか貰いものが飾ってあります。

 

 

 

 

義父もアルツハイマー型の認知症を患い2年前に他界しました。

 

 

今思うと殆ど同時に認知症を発症したようで、老々介護の状態で数年間2人だけで
生活させてしまったことを妻は少し後悔していました。

 

 

症状に気づいた時から、加速度的に病状が進行していき、もはや自分たちだけでは、
離れた場所からの介護は到底困難な状況でした。

 

 

それでも妻は毎週のように片道2時間以上かけて、両親の面倒を見るために車を飛ばし
長野県まで向かい、翌日疲れて名古屋に帰る、といった生活を3年以上続けてきました。

 

 

 

 

思えばここ最近は人生の中でも僕たち二人にとって激動の3年間でもあり、
自分達の生き方を考えさせられる大事な時間だったようにも思います。

 

 

 

 

ある程度の年齢になれば誰しも経験する可能性があることだとは思いますが、
最初の頃僕は、まだどこか他人事にしか受け取ることが出来ずに妻のサポートに徹することしか出来ませんでした。

 

 

 

 

この頃僕は、勤めていた仕事を辞めたり、ブログを本格的に始めたりと環境の変化が激しかったので、その場の状況について行くのに必死だったようにも思います。

 

 

 

それでも以前の会社は、なかなか休みも取れず、頻繁に名古屋と長野県を行ったり来たりすることが出来ませんでしたが、会社を辞めたあとは、幸いにも時間的な余裕もつくれ、妻を最大限にフォローしてあげる事が出来て本当に良かったと今では思っています。

 

失われていく記憶

 

一言に認知症とって言っても様々な症状があり、僕が一番最初にショックを受けたのは、
義母が僕を見ても「どちら様?」といった表情に直面した時でした。

 

 

当然、妻から症状は聞いていたものの、初めて目の当たりにした時は、
自分の顔が引きつっているのがはっきりわかるほどでした。

 

 

 

僕がこれほどのショックを受けたのですから、妻の立場からすれば尚更でしょう。

 

 

お義母さんは、もう誰も認識する事が出来る状態ではありませんでした。

 

 

 

自分の実の親から子に向けて

 

『いつもお世話になっております・・・』 

 

『ご苦労様です・・・』

 

とまるで他人様に向かって発する言葉を、最初にぶつけられたら一体どんな心境だったろうと思い出すだけでも胸がしめつけられる気持ちで一杯でした。

 

 

 

 

「あー、この人の最後に残っているのは理性なんだ。」 とその時は思いました。

 

 

 

暴言を吐いたり、暴力をふるったりしても、肉親の顔はしっかり認識出来る人もいる。

 

義母のようにおだやかではあるが、なにも識別できずにどんどん記憶が失われていく人もいる。

 

 

周りからすれば、どちらが幸せなんだろうと考えさせられてしまいました。

 

 

 

受け止め方は人それぞれかもしれませんが。。。

 

延命治療はされますか?

 

施設の部屋の中には、沢山の写真と思いでの品が飾られています。

 

 

元気だったころ、義父さんや兄弟、友人と一緒にあちこちに旅行に行っていた義母さん。

 

初孫に囲まれてうれしそうにするお義母さん。

 

 

写真を見る限り、本当に自分たちとは比べ物にならないぐらい人生を楽しんでいるようにも見えました。

 

 

 

当時は、自分の生活に対しいつも疑問に思い、「幸せな生活とは一体何だろう?」と考えない日々がなかった僕は、お義母さんの写真を見ていると何故か答えを教えてくれているような気がしてなりませんでした。

 

 

 

 

そんな義母も施設に入り2年が過ぎようとした頃、妻の携帯に1本の電話が入りました。

 

 

施設の担当看護師の方からでした。

 

 

『昨日から、お母さまの食欲が無くほとんど食事を摂られない。薬も受け付けない。』

 

そんな内容でした。

 

 

 

急いで車をとばし、義母さんの施設に向かい看護師さんや施設長さんから
お義母さんの状態の説明を受けました。

 

 

 

 

長期間、寝たきりで介護状態が続けば、奥さんも僕も「その時」がくるのは、
いつも覚悟だけはしていました。

 

 

 

それでもいざ、「その時」を迎えた精神状態の妻を一人に出来るはずもなく、
僕は出来る限り寄り添ってサポートしようと心に決めていました。

 

 

 

 

 

遡ること約2年前

 

お義父さんが無くなった時、うちの奥さんはその死に目に会う事が出来ませんでした。

 

その日、お義父さんの病院に向かっている最中、すぐ近くまで会いに来ていたにも関わらず、それが叶わなかったのです。

 

 

 

 

お義父さんはアルツハイマー型の認知症でしたが、最期まで意識だけははっきりしていて、自分の意思を僕らに伝えようといつも必死でした。

 

 

 

最期は※「胃ろう」によって栄養を接種していましたが、本人は尋常じゃないぐらい
頑なに拒否していました。

 

※「胃ろう」とは、身体機能の低下などにより口から食事をすることが困難になった人が、胃から直接栄養を摂取するための医療措置のことです。義父の場合のどに穴をあけ、チューブを胃に繋ぐ措置が取られました。

 

 

 

当時、周りからは「なんとか元気に回復してほしい」と一縷(いちる)の望みをかけて
最期の措置に賭けた上での決断だったのですが、結局体調が戻る事は一度もありませんでした。

 

 

 

 

今思えば、あれも家族の自己満足だったかに思えてなりません。 

 

 

僕らは当時、お義父さんに少しでも長く生きてほしかっただけでしたが、本人からしてみれば、そんな鎖に繋がれて辛い思いまでして、病院のベッドでただ息をしている状態なんて1ミリも望んでいなかったのかもしれません。

 

 

あの時の判断が正しかったかどうかは、いまでも疑問が残りますが
誰にも答えは出せないでしょう。

 

 

 

結局、その薄暗い病院のベッドでお義父さんは誰からも看取られることも無く
82歳の天寿をまっとうしました。

 

 

 

 

 

そんなお義父さんの事もあり、「お母さんの死に目にだけはどうしても立ち会いたい」という妻の思いは当然ともいえます。

 

そして僕は、そんな妻の最期の思いだけは、是が非でも叶えてあげたかったのです。

 

 

 

 

病院に着いた翌日、担当の医師に呼ばれ、
お義母さんの容体と今後について説明を受けました。

 

 

先生は開口一番、こう仰いました。

 

『結論から申し上げて、現在の体力では嚥下(えんげ)機能も低下して、栄養を自力で摂るのも困難で、お薬を飲み込む力も殆ど残っていません。』

 

 

『このままの状態ですと、個人差もありますが、もってあと3〜4日程度でしょう。』

 

 

『ここからは、病院に移り、点滴などで医療的な措置を取るかどうか、
ご家族に判断を仰ぎたい。』

 

 

覚悟はしていたものの面と向かってお医者さんから余命を宣告されると、
何ひとつ出来ない無念さをかみしめるしか、僕にはなす術がありませんでした。

 

 

 

しかし、奥さんは違っていました。

 

一呼吸おき、目を潤ませていましたが、毅然(きぜん)とした口調で

 

 

『延命治療は望んでいません。弟ともすでに話し合いました。』 

 

 

『点滴などで多少母の命が長らえたとしても、2度と以前の状態に戻る事が
無いことも承知しています。』

 

 

『それならば、最期はせめて苦しまずに、このままここで安らかに見送って
あげたいのです。』

 

 

 

妻がそう伝えると、先生も黙ってうなずき、僕らは同意書にサインをして、
今後の「看取り」について施設の方と話し合い、お義母さんのもとに戻りました。

 

 

 

真の妻の覚悟を目の当たりにした瞬間でした。

 

 

 

 

 

そして、1週間後の
4月28日 16時15分 お義母さんは静かに天国に旅立ちました。

 

 

 

 

驚いたのは、何も口に入れる事が出来なくなってから、お義母さんは
2週間以上も生き抜いたのです。

 

 

 

この時ほどは、人間の生命力に驚かされたことはありませんでした。

 

 

 

なによりも、妻がお母さんのそばで、最期を看取る事が出来た事だけは、
本当に良かったと思いました。

 

 

それだけでなく、お義母さんの姉弟もわざわざ遠くから駆けつけてくれ、
多くの肉親に看取られ天国に逝くことが出来たのです。

 

 

 

お義母さんは幸せな最期を迎える事が出来たと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

今はただ、天国でお義父さんと夫婦水入らずで仲良くやってもらいたいとただ、
祈るばかりです。

 

 

 

 

 

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