もういいだろう。 勘弁してくれ。
僕は、長年勤めた会社を辞めた。
遡(さかのぼ)る事、1年前 僕は6年間付き合った彼女と結婚したばかりだった。
その直後に突然 支店長から転勤を言い渡された。
全国に支店がある会社なので転勤も覚悟はしていたが、なにも結婚して新しい家も借り、色々と これから頑張るぞ という時に転勤とは。。。。
これが『サラリーマンの当たり前』なのかと思うとつくづく嫌気がさしてきた。
それでも家族を養うために、僕は辞令に従い転勤先の静岡県に移り住んだ。
20年以上も住み慣れた街を離れて、初めて色々恵まれていた環境だった事に気づかされた。
新しい転勤先は、都会の中心部から少し離れた支店でいわば半分島流しのように感じた。
それでも地元の人は皆、優しく色々と親切によそ者を迎え入れてくれた事には本当に感激した。
会社は相変わらずのブラックぶりで朝から深夜まで毎日残業の連続だった。
名古屋にいた時よりも少しだけ通勤時間が短くなったのがせめてもの救いだった。
というよりも、終電に間に合わないので車通勤に切り替えたため 安心して残業が出来てしまうという悪循環にすら気づいていなかった。
毎朝 渋滞に巻き込まれるが、気が狂いそうな満員電車のもみくちゃに比べれば車通勤は天国に思えた。
実は今回の異動には、会社から大きな指令が一つあった。
その業務命令とは、毎年 愛知、岐阜、三重、静岡の4県が持ち回りで実施している数百人規模の大きな旅行の契約を必ず獲得して無事に実施・完了するようにと 仰せつかったのでした。
そのこともあり、今年の担当である静岡県に、ある程度のベテランとして僕が送り込まれたのです。
ただ、この仕事は、毎年うちの会社が受注する事がほぼ決まっていて、転勤前にクライアントと大体の話がついていたので、正直 楽勝だろうと高(たか)をくくっていました。
ところが、昨今の景気の悪さも重なり、今年からは数社の見積もりの中から公平に入札するという通達があり、 全くのガチでの仕事の奪い合いになってしまったのです。
この決定には正直 後ろからハンマーで殴られたような衝撃をくらい、顔から血の気が引いていくのがはっきりとわかりました。
マラソンに例えると、
ゴール手前10メートル付近まで、ぶっちぎりのトップで走って来て
『君はフライングだからもう1回最初からね。』と言われ一瞬にしてスタート地点まで押し戻されたようなものです。
受注するはずの金額は総額2億3千万円。
それが一瞬にして白紙となった。
自分のサラリーマン人生の中で最も高額な取引なので、一瞬パニック状態に陥りました。
『どうやって上司に報告しよう。。。。。。。』
ビジネスの世界ですから、当たり前と言えば、当たり前なのですが、なにも自分が担当する今年からでなくても、来年 別の担当者の時でいいだろうに。
どんなに愚痴を言ったところで決定は覆りません。もう賽は投げられたのですから、最初から全てやり直しです。
言うまでもなく、この日から更に仕事量が倍増して業者が決定するまでの約2か月間は、殆ど家に帰る事が出来ない状態に陥りました。
もはや ブラック状態というより、漆黒の闇の中でかろうじて息をしているといった感じでしょうか。
この期間、数えきれないほど何度も見積金額を計算し、膨大な量の資料を集め、関係各所に頭を下げて、なんとか 150ページ以上の企画書を作り上げました。
『本当は、こんな大変なはずじゃなかったのに。。。。』
と何度も心の中でつぶやきながらも、出来る事は全てやり切り、なんとかプレゼンテーションを無事終える事ができました。
プレゼン当日、クライアントの反応は上々で、これまでの関係性もあり、他社に比べて非常に友好的でこれ以上ない手ごたえをしっかり感じ取る事が出来ました。
しかし。。。
何のためにここに来たんだ。
1週間後
僕は、支店長室に呼ばれ、険しい顔で今回の取引が他社に決まった事を告げられた。
皮肉にも受注した同業者は、通りを挟んだ向かいのビルに入っている旅行会社だった。わずか10mも離れていない距離だ。
僕はしばらく茫然自失となり、気がつけば更衣室で大粒の涙を流していた。
翌日、生まれて初めて会社を無断欠勤した。
心配した上司がその晩 家に来てくれた。
色々と慰めの言葉をもらったが、頭の中はまだ真っ白の状態で何を話したかあまり覚えていない。
なぜか、手土産に伊勢海老を1匹 持ってきてくれた事だけは覚えている。
僕は、3日ほど会社を休んで4日目に無理やり妻にたたき起こされ会社に出勤した。
朝、会社に行くと突き刺さるような視線をあちこちから感じた。
それも当たり前だ。
なんせ会社に2億円以上の損失を与えた張本人が、のこのこ出社してきたのだから。
『よく会社に顔を出せたな。』
『一体何のために、わざわざこの支店に来たんだ』
『どれだけの損害を与えれば気が済むんだ。』
『お前のせいで俺たちのボーナスが出なかったらどうするんだ。』
1日中 あちこちから そんな陰口が聞こえてきた。(そんな気がした)
表面上は、色々な人に気を使われ、それがむしろ余計に落ち込んでしまう。
同僚も心配してくれてはいるが、本音は出世コースを外れた自分を、さげすんでいるようにしか思えてならない。
もはや目に映るもの全てが敵に見え、疑心暗鬼になって見えてしまう。
そんな日が、何日も何日も続いた。
『もういいだろう。』
『もう勘弁してくれ。』
と何度も、何度も 心の中で呟いた。
正直、今でもこの時が、人生の中で一番つらい時期だった。
外回りに出ても仕事に身が入らず、当然モチベーションはどん底だった。
それでも数か月前にこの地に引っ越してきたばかりだったので、少しでも馴染むように努力した。
この仕事は無くなったが、他にも仕事は山のようにあるから頑張ってくれ。と上司に励まされた。
しかし、頭と体が少しずつ拒絶反応を起こし始め。。。
思うように行動できなくなり、自分のスケジュールすら満足に管理できなくなっていった。
この時 自分自身が壊れていくのを初めて感じた。
今回の挫折が原因で、僕はこれまでの自分のサラリーマン人生を見つめ直した。
思えば激流に流され、何年もあちこちの岩場に体をぶつけてきた。
だが、ここに来て初めて浅瀬になり、足が地についた気がした。
会社に入ってから今日まで、
がむしゃらにここまで来たが、これから先もこの環境に耐える事が出来るのか。
この1カ月を食つなぐ程度のわずかな給料だけで一生満足できるのか。
家に帰って寝るだけの生活が、果たして幸せなのか。
このまま年老いて一生を終えるのか。
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頭の中は、これまでの生き方を全て否定するような考えが次々に浮かび始め、仕事にも全く身が入らなくなり、家に帰っても 生きているのか死んでいるのかわからなくなってきていた。
数日後、僕は会社に辞表を提出した。