ネットビジネスで収入の自由化に成功! 悠々自適なライフスタイル白書

 

無知な高校生が食い物にされる毎日

 

 

 

 

 

高校時代、僕は少しでも親に負担をかけたくないという思いからアルバイトを始める事にしました。

 

 

この頃から少しずつお金に対して異常な執着心を見せるようになってきます。

 

 

生まれて初めてのアルバイトはファミリーレストランのウエイターでした。

 

 

 

高校1年の夏、友人に誘われて働きだしたのですが、この時はお金を稼ぐというより社会見学のような気軽な気持ちでスタートし、様々な失敗を何度となく経験しました。

 

 

 

まず、当時の時給が500円ぐらいだったと記憶しています。 基本時給は650円だった気がしますが、最初の3か月ぐらいは研修時給だそうで、半年ぐらい努めましたが、結局最後まで500円だった気がします。

 

 

 

今思うと世間しらずで、時給の相場も仕事内容もよくわからず、ただ言われるがままに働かされた初めてのアルバイトは毎週末が本当に恐怖でした。

 

 

 

学校帰りの平日の夕方と毎週土・日曜日にシフトに入っていたのですが、とにかく週末は忙しく、延々ホールを走り周り、テーブルを急いで片付け、料理を運ぶ事の繰り返しですが、 特にトラウマになったのはキッチンの調理長に毎回 死ぬほど怒られる事でした。

 

 

 

調理場のピークの時間は毎週 戦争のようで、ひどい時は皿やグラスが頭の上に飛んできて

 

 

「さっさと持って行け!バカヤロー」 

 

 

「料理が冷めるだろー このタコ!!」

 

 

こんな暴言を吐かれるのは日常茶飯事でした。

 

 

新人の僕は、要領が悪く 頭にフランスパンとかリンゴとか投げつけられ、悔しくてトイレで時々泣いていました。

 

 

 

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今思えば、人生初の職場は正真正銘 ブラック企業でした。 当時はまだそんな言葉すら世の中には存在しませんが。

 

 

 

 

結局最期は、逃げるようにその店を後にして辞めたのですが、辞めた後もしばらく 店長から毎日のように電話がかかってきて居留守を使い続けたものでした。 

 

 

 

そんな辞め方だったせいもあり、最期の給料も半分ほどしか貰えませんでした。(泣)

 

 

 

 

でも一つだけとても幸せな思いをしたのですが、それは長くなるので又 別の機会にお話ししようかと思います。

 

 

 

 

 

その後、夏休みの短期バイトで引っ越しの補助とか荷物の仕分けとかいくつか経験したのですが、その当時から高校生は時給はが安く、なかなかお金が貯まりませんでした。

 

 

 

 

 

高校生活もわずかになった頃のお話ですが、当時は高校卒業と同時に皆 普通自動車の免許を取りに行きます。

 

 

 

僕の通っていた高校は、ほとんどの学生がお金持ちのお坊ちゃんが多く、周りの友達は親に自動車学校の学費を出してもらっていましたが、うちはそんな余裕など無かったのでとにかく一生懸命アルバイトをして学費を稼ぐことに必死でした。

 

 

 

ある日、友達と行った高校の近くのカフェでアルバイトを募集しているとのことでしたので、早速面接をしてもらい、その場で採用になったので翌日から勤務する事になったのですが。。。。。

 

 

『稼ぎたいなら、深夜のシフトに入りなよ。』 と甘い言葉に誘われ

 

 

 

僕は学費を稼ぐため、少しでも時給の高い深夜の時間帯に勤務する事に決めました。

 

 

 

その時の時給は600円ほどだったのですが、それでも高校生にはありがたく、毎日学校が終わって夕方から朝4時ごろまで働いていました。

 

 

 

深夜の時給がわずか30円増しと知ったのはそれから1カ月後の事でした。

 

 

 

お店は学校から3分の場所だったのでバイトが終わって朝の5時過ぎに店のソファーで仮眠して午前7:30に学校に向かうのですが、これがなかなか起きる事ができません。

 

 

 

おかげで3年生の3学期の出席日数はわずか5日間だったと記憶しています。

 

 

 

僕は毎日のように遅刻して先生に叱られ、授業が終わると又、アルバイトに行くという無限ループを繰り返していました。

 

 

 

体が匂う頃になると1週間に1回ぐらいのペースで実家に戻り着替えて,お風呂に入ってすぐにお店に戻る という正にブラック飲食店の正社員のような生活をしばらく続けていました。

 

 

 

 

 

ちなみにアルバイト禁止の学校だったので先生に見つかると1週間の停学を言い渡されます。

 

 

 

学校から非常に近いので時々先生がコーヒーを飲みに来ます。そんな時は急いで厨房の中に走りこんで先生が帰るまでじっと息をひそめて待っていた事が何度かありました。

 

 

それでも1度だけ風紀指導のこわい先生に見つかってこっぴどく叱られた挙句、罰としてなんと 般若心経を暗記させられた事がありました。 

 

 

般若心経とは、お坊さんがお葬式などで唱えるお経の事でちなみにこんな感じです。

 

 

 

 

 

うちの高校は宗教学校だったので、お寺や神社の息子が、たくさん学校に通っていました。

 

この時に初めて知ったのですが、生徒手帳の一番最期のページにこのお経が書いてあるのです。 

 

それを1週間で暗記して先生の前でテストさせられるのです。 暗記できなければ当然停学です。

 

 

 

僕は親に心配をかけたくなかったので、アルバイトの休憩時間中や昼休みの時間を使って一生懸命に暗記して、なんとか停学を免れる事ができました。 

 

ですから、今でも僕はこの般若心経をそらでいう事が出来ます。
(※記憶だけで言うことができる、諳んじる(そらんじる)ことができる、といった意味の表現。)

 

 

この特技は、葬式や法事の時に少しだけ鼻が高いです。 けれど それ以外は全く何の役にも立ちません。(笑)

 

 

 

 

又、当時の僕は、労働基準法という法律の存在すら知らず、深夜22時以降の高校生の労働禁止とか、深夜時給の割り増しは、25%増しとか 見事なくらいに無知だったので今思うと随分ひどい条件で働いていたんだという事に思えてなりません。

 

 

 

無知=情報弱者のことです。

 

 

こういった労働に関する基本的な事を覚えたのは、この時代から何年も後の事でした。

 

 

 

更に、社会に出ても搾取され続ける体質は相変わらず変わりませんでした。

 

 

 

この世界に出会うまでは。

 

 

 

 

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次のエピソードに続く

 

 

 

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